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2008年4月22日火曜日

排日問題をはじめ懸案の解決を交渉

新聞記事文庫 国際労働問題(10-055)
大阪朝日新聞 1927.7.23(昭和2)


排日問題をはじめ懸案の解決を交渉

上海から南京、武漢に乗り出す

東方会議から帰った矢田総領事


【上海特電二十一日発】東方会議から帰った矢田総領事は帰着●々の二十一日郭交渉員を訪い、更に外交部長呉朝枢氏を訪問し約一時間半にわたって会談した、 総領事は東方会議の結果ならびに田中兼摂外相の意のあるところを伝え、更に南京事件の解決及び排日問題に言及するところがあったものの如くである、両者の 意思はこの会見にて非常に疎通したらしく総領事も楽観を仄かしていた、なお二十一日夜も上海市長黄郛及び戒厳司令楊虎の両氏と会見の予定である、総領事は 上海にて重要人物の会見の上更に南京に出張し政府首脳部と会見する予定である
二十一日の会見では問題の関税自主には触れなかったといわれているが、何れ南京にて首脳部との会見では当然重要な問題に触れるものであろう
なおまた南京政府との間に懸案中の諸問題の解決の兆を発見次第総領事は漢口に赴き武漢政府に対しての問題解決をはかる模様である

蒋軍を猛撃し妥協を強制せん 奉派最高幹部で決定

【北京特電二十一日発】奉天派最高幹部会議は妥協に関する方針を大体決定し、政治問題は後廻しとして左の如く進行をはかることになったと

(一)閻錫山氏の態度には遺憾なる点あるにつき、山西派と南京派とを分離して、山西派とは暫くこのままとして蒋介石氏との妥協に対し猛進すること
(二)蒋氏より責任ある代表者の急派を要求すること
(三)孫伝芳氏を速かに山東に帰還せしめ張宗昌氏とも迅速に直接交渉を開始せしむ
(四)津浦線の攻撃を猛進せしめ蒋軍をして妥協するの止むを得ざらしむるよう努力すること
(五)出来得べくんば蒋氏をして、山東軍が徐州を通過して馮玉祥氏討伐のため河南に入ることに同意させること

妥協は嘘 蒋氏の否認 蒋氏の否認

【上海特電二十二日発】蒋介石氏は二十一日南北妥協問題に関し通信記者に左の如く語った
妥協問題の北京通信は見ているが、これは全然事実でなく、政府方面は方本仁氏に対して何の任務も委任していない、国民革命の進行中妥協の一齣はゆ るされざるところで環境も事実もこれを容れない、方本仁氏もいまだ太原を一歩も出でいないから自然と交渉はないはずで、この消息は離間中傷の謡言である

南支那海にまた海賊現る 船長を射倒して脅迫 金塊その他を掠奪す

【連合香港二十一日発】十九日サイゴンに向け香港を出帆したノル ウェー汽船ソルヴィケン号(二三九八トン)は二十日朝支那海賊のため掠奪をうけた、はじめ海賊は船客を装うて乗船したが、二十日朝に至りその正体を現わ し、乗組員を脅迫して先ずリカード・ジェントフト氏を射倒して重傷を負わせた、海賊の団長は事務長に向って英語で『いう通りにせねば白人船員をみな殺しに する』と脅迫してバイアス湾に航行するよう命じた、船がバイアス湾に着くや二隻のサンパンが来て掠奪品を積込んだが、その中には価格二万メキシコドルの金 塊も含まれていたなお同船の支那人売●も同時に拉致された

武漢派と南京派最後の決戦近づく 白熱化した両派の暗闘 長江の情勢を視察して 中村本社特派員発

【上海特電二十二日発】武漢派と南京 派と二つに分れた南方勢力は、分裂後の北伐、黄河の線への躍進においてよく統制ある行動を取り、世人を驚かしたが、両派の暗闘は日に深刻に赴くばかりで あった、予(中村特派員)は社命により六月下旬上海から漢口に急行し、武漢、九江、南京の各地を視察して上海に帰着したばかりであるが、両派の暗闘は今や 白熱化し、遂に最後の決戦を試みんとするものの如くである

鳴りを鎮めた武漢派

武漢方面にいよいよ実行的に打倒蒋介石の声が聞えはじめたのは漸く今月の十二日ごろからであった、当時武漢政府の領 袖汪兆銘、譚延●氏等は積極的南京討伐を否認し、武漢と南京とは主義上相容れないもので、殊に蒋介石氏の独裁主義は武漢政府の到底認容出来ないところであ るから、目下この両派の妥協の如きは問題にならないが、徐州会議の結果、武漢政府の意を体した馮玉祥氏が蒋介石氏と北伐に関してのみ協力する協定で出来た から、北伐戦中は武漢派は南京に対して積極的行動をとらず、北京占領後において国民会議を開いて、この問題を決定したいと思っている、しかしもし南京派よ り攻撃的態度に出るならば、吾人は敢て戦いを辞するものでないと、表面平静を装っていたのである

両派たがいに宣伝戦

然るにこの時すでに万一を予想して武漢方面では南京派の買収運動を行いつつ、殊に南京派の中堅たる第七軍長李宗仁氏 の引込み運動に力を入れており、南京方面でも武漢派中の最右翼たる唐生智系の第三十五軍長何鍵氏に接近しておった、南京派の宣伝員は長江一帯に馮玉祥氏の 武漢進撃を宣伝し、ぐらつきかけている武漢派の切崩しをなさんとしたが、これは外人方面には相当の信用もあったが、武漢方面にはあまりに効果なく、武漢派 は却って南京派が葉開金、賀耀租、李宗仁、王天培氏の湖南広西、貴州方面軍を湖南に進めるとの宣伝をなし、多少危険性を含む唐生智系に警戒を払わしめると ともに、南京派に対する敵愾心をそそり、政治経済各方面の行詰り打開策として、党の宣伝機関をして盛んに打倒蒋介石の運動を起さしめた

続々進出する討蒋軍

かくて旬日を出でざるに武漢全市に打倒蒋介石のビラが一帯に張り出され各所に蒋介石討伐の会合が起され軍隊方面の士 気を大いに昂奮せしめた、先月来何鍵軍が河南より帰来したころより盛んになりつつあった漢口クーデターの説は影をひそめ、討蒋の声いやが上に盛んになり張 発奎氏が第二方面軍総指揮に任命され、従来の第四第十一両軍のほかに、武漢共産系工会に属する糾察隊童子軍、軍官学校生徒をもって赤衛軍が編成され、討蒋 の準備が命ぜられて、張発奎氏の命を受け、第四軍の先発隊約二千は勇躍して八日武昌を出発して下江し、九日九江についた、つづいて十二、十三日までに到着 した兵は約六千、九江警備の任にあたっていた第五方面軍朱培徳氏らの軍隊は直に第四軍と交替して南昌に引下がり、九江市中はたちまち至るところ第四軍兵士 と討蒋の貼紙で戦時気分が横溢した

蒋介石軍立遅れ

一方蒋介石軍は宣伝がさきに立って、実際の軍事行動は徐州方面の安国軍の逆襲によってはかばかしく進展せず武漢派の出兵 によりまず蕪湖附近にあった戦意のない王普軍を取敢ず安慶上流に集めたのが漸く十三日であった、ついで比較的安国軍の逆襲の恐れなき江北方面にあった何応 欽氏の第一軍を鎮江南京に呼び戻し、蕪湖安慶方面に送るとともに後方に備え、更に前線にあった王普、賀耀租、葉開金等の各軍を呼び戻して、目下全力を挙げ て上流方面に輸送を開始しつつある、しかし武漢軍は江南防備の第一線たる江西を手中に収め、これより三路に分れ、一は長江に沿い、左翼は望江より潜山に向 い、安慶の側面を脅かさんとし、主力は秋浦を経て安慶の前面に迫らんとする勢いを示し、第二路は景徳鎮方面から安徽の南部を窺い、第三路は江西の東部玉山 方面に出で、浙江の銭塘江上流に出でんとしている

武漢派の看板塗替

両軍の状況を見るに、武漢は兵力約十七、八万、南京は二十余万と称するが、後方に備える必要があるから、戦線に立ち得 るは双方ともに各方面を合して十万内外と見られる、武漢派はすでに機先を制して江西を収めて地の利を占め、加うるに武漢附近の反共産軍を剿滅し、後顧の憂 いなく、しかも帰らんとすれば財政の困難と物資の欠乏、湖南軍の蟠居で出征軍は一種の背水の陣を布きつつあるので将士は生きんがためには進むの一途あるの みで、必死の覚悟をもって士気大いに振っている、ただその恐るるところは共産、反共産の争いに乗ぜられることであるが、これも外間伝えらるるが如きもので なく、両派の妥協はすでに成り共産派の有力者は表面を去り、裏面において連絡し、指揮、宣伝、南京派の後方擾乱に当ることになり表面は看板を塗り替え、 却って敵をして反共産の口実を失わしめている

形勢の悪い南京側

これに対し南京側は第一二に将領すでに戦意なく、地盤の争奪に腐心するに至り、士卒は全く士気を失い、南北妥協も単に 奉天派の進撃を食い止めるために、一時の停戦の口実とせんとするものであるから、この方面とて決して心は許せない、しかも江蘇の側面および後方の安徽南 部、浙江はガラあきで何らの防備もなく、万一敵軍来らば南京、鎮江に終結している軍隊をもって防御せんとする意図らしく、国民軍の特質たる積極的攻撃精神 を欠如していて、恰も江西戦後の孫伝芳軍の如く、この形成を回復するには馮玉祥軍の武漢脅威と、唐生智軍の寝返りであるが、これまた武漢派の形勢が現在の 如く有利に進展しつつある際においては頼むべからず、この難関に処し国民軍の暁将と謳われた蒋介石氏が如何なる怪腕を振い得るか、ただそれのみが力であり 見ものである(写真上は蒋介石氏下は汪兆

両軍ついに火蓋を切る 安慶の上流にて

【上海特電二十二日発】二十二日漢口より上海に入坑した日清汽船南陽丸船長の談によれば南京派の軍艦楚同、永安の二隻は二十日午前安慶の上流東流附近にて武漢派軍隊に砲撃を加えていたのを目撃したと、これは両軍戦闘の最初である

孫氏らの硬論で妥協遂に絶望 蒋氏の代表引揚げ

【北京特電二十二日発】南京派と奉天派の妥協問題は早くも頓挫して絶望の姿となった、停 戦問題から入って妥協問題に移ったが、双方の根本主張が既電の如く相違して一致せぬ上今では停戦問題も忘れて孫伝芳氏らの強硬論で戦争は続けられている、 奉天川は依然として山西はさしおき蒋介石氏とは妥協を進める意思あるが右の如く事実上見込みなく蒋氏の代表兪応鹿氏も私人として入京したと逃げて匙を投げ ●々引上げるに決定した
北方からは蒋介石氏に責任ある代表の派遣方を要求しているが蒋介石氏はこの空気ではさらに派遣するはずなくこのままで物分れとなるらしく、山西 とはもとより気まずい関係となるだろう、かくなったのも要するに意見の相違せる新旧両派に、呉俊陞、張作相らの上京の上孫伝芳氏らが加って、旧派の現状維 持の主張が勝ったためである

また行悩む南北の停戦協定 徐州の譲渡問題で

【連合北京二十一日発】二十日大元帥府における奉天派の最高会議で一旦南北妥協に関し山東 停戦、赤化討伐、張作霖大元帥維持の各条件を決定したが、その後呉俊陞、張作相氏等を加えた巨頭会議の結果、奉天派は蒋介石氏の代表団に対し停戦して武漢 政府の討滅を期すとの根本原則実現のための軍事輸送には隴海線の利用を必要とするとの理由で徐州の譲渡を希望し、奉天派では繰返し説明してはいるが蒋介石 氏側に難色あり、これがため九分通り出来かけていた停戦協定はまたまた困難に逢着した

蒋氏はしりごみ 乗り気は奉天派だけ 妥協はできぬ相談

【北京特電二十一日発】蒋介石、張作霖、閻錫山三氏の三角妥協は奉天側が大乗気 になって来たのに反してますます影薄くなり悲観のみへ陥って行く、南京はと山西派はもとより主張は一緒であるが代表派遣はおつきあいの義理からで今回とて も奉天派に対しさきの要求(奉天軍を河北国民革命軍と改め青天白日旗を用い奉天派の新人をもって委員制を実行し黄河以北を管理する)を改めんとせず、また このたび纏めようとも考えていず、ゆえに改めて要求もせず、無責任であり、蒋介石氏も第三流の人物を派遣して、いわば奉天派の肚を探らせる程度のもので具 体的の意見を持ち合わさず奉天派が大譲歩の肚があれば改めて正式代表を出そうとするに過ぎない、ただ妥協には南京派は軍事、政治とも同時に解決を必要とし 政治上で奉天派の宗旨がえを求め奉天派は軍事のみを先決して先ず武漢派と馮玉祥氏との共同討伐策を講ずることを主張するものあることは明らかで、すでにこ の点で妥協の見込みすくないことが知れるが殊に肝腎の蒋介石氏は馮氏に対し思い切れず、武漢に対してだんだん煮え切らぬ態度となって来たので北方に対して つき進んだ妥協をしたために却って他日の禍となるを恐れて躊躇する模様とて奉天派が大乗気の最高幹部の大評定も結局できない妥協の相談に過ぎぬ

孫未亡人江西廬山へ

【連合漢口十八日発延着】孫文未亡人宋慶齢女史は十七日夜おそくひそかにイギリス汽船江和号で江西省廬山に向った、国民党絶縁の声明書はその後で発表されたものである、なお宋子文氏も前日すでに九江に下りボロヂン氏も廬山に滞在している

共産系人物露国留学 国民党で決定す

【連合漢口十八日発】何鍵氏を中心とする国民党系の第二、第六、第八、第十五、第三十五、第三十六 各軍の圧迫により国民党はいよいよ共産党と絶縁を決行するに至ったしかして共産党は張発奎軍をもって一戦を試みるだろうとのうわさがあるが共産党は暫らく 雌伏するに決し同系人物はぞくぞく政治的表面より姿を消しつつあり、共産系人物の処置につき国民党側は馮玉祥氏の諒解の下に潼関を経てロシヤに留学せしむ ることに十七日の会議で決定したと称している、張発奎氏の態度はまだ判らないが少くとも江西省を自己の地盤とし更に広東に帰らんとするの意向強く着々出発 準備を整えている

惰気甚し 南京軍内部

【上海特電二十一日発】確実なる消息によれば蕪湖にあった第二十七軍長王晋氏は部下数名と共に安慶に向って出発す る予定である、武漢派の軍隊は右翼は秋浦より安慶の南部に迫り、左翼は潜山方面に進出、その勢力侮り難きものがある、王晋氏はこれがため蒋介石氏に向け李 宗仁、葉開金、柏文蔚氏等を援助のため派遣せんことを伝請した、蕪湖にある南京派軍隊内部の情報によるとこれ等軍隊は武漢派を同志と見なし交戦の意がなく 惰気甚だしきものであると

第十五軍蕪湖で暴行 単なる復讎騒ぎ

【蕪湖特電十八日発】蕪湖にある第十五軍は十六日夜折柄市内通行中の第七及び第二十七軍と故意に衝突し、遂に公安局をも襲い破壊暴行した、これは第十五軍の一部が数日前武装を解除されたための単なる復讎であった

支那籍船舶の上海出港を禁止 軍事輸送に備えるため

【上海特電二十一日発】南京は二十日午前上海税関に対し支那国籍の船舶に対し政府の 命令あるまで一切出港を差止めよと命令したので、折柄出港準備中の招商局南支航路および北支航路の二隻も出帆を見合せた、これは南京政府が軍事輸送に備え るためであると、なお日本船にて支那国籍のもの二三あるためこれにつき対策考究中ある

日貨取引者を監禁す 上海の排日

【連合上海二十日発】上海支那人一海産物商人は南京政府の排斥運動取締令に安心して二十日日本商品を買入れたところ、日貨排斥団員来り同人を拉致監禁し、巨額の罰金を課したためここ数日来多少安堵の色を浮かべていた支那商人間に再び恐慌を来すに至った

日支条約討議 継続を要求

【連合北京二十一日発】三ヶ月間延長された日支通商条約の改定期限は二十日をもって再び満了したので、外交部は日本側に対し継続討議を要求するに決した、右公文は二十一日の閣議に諮った上、一両日中に正式に発せらると

データ作成:2006.6 神戸大学附属図
記事・論文名排日問題をはじめ懸案の解決を交渉 : 上海から南京、武漢に乗り出す : 東方会議から帰った矢田総領事
掲載新聞紙名大阪朝日新聞
出版年月1927.7.23 (昭和2)
メタデータID00789501
リソースID新聞/新聞等/記事・論文
本文の言語jpn
データ登録日20060616
所在神戸大学経済経営研究所
新聞記事文庫分類国際労働問題
原巻数10
記事番号055
原リール番号10610
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