不逞鮮人の培える 同胞の迷夢覚醒
職業指導、思想統制を行い偏狭な民族観念揚棄
活躍する間島協助金
間島協助会は康徳元年九月五日加藤憲兵中佐の肝煎りで結成された間島在住朝鮮人を以て組織される一つの民族覚醒機関である、即ち間島の朝鮮人人口は約四十 万であって在住人口の八割を占め、それ等の中には日韓併合当時不平を抱いて入間し、不逞の計を繞らす朝鮮独立運動の残党も尠くない、これに加えて旧東北軍 閥政権の多分の民族的偏見を有する迫害、地主の封建的搾取、更に直接境を接するソ聯の策動があって間島四十万の朝鮮人は全く無統制の民族と化し、実力と気 概を有するものは共匪の群に投じて共産主義の注入に努めていた、斯くて満洲国建国におよんだがその後においても従来の日満軍警の討伐が地形の関係上、徹底 的にこれを行うことが出来なかったため住民は共匪の脅迫を脱することが出来ず、不純団体に加入して安住を保つの外はなかった
従って間島における朝鮮人老若男女職業の如何を問わず殆ど全部が共産主義の流れを汲んでいない者はないというも過言でない現状である、併し満洲建国とその順調な成育によって次第に情勢は変化し誤れる思想を抱いていた者の中にも次第に覚醒気運漲り遂に
不逞鮮人によって培われた誤れる同胞の迷夢を醒せ!
我等自ら自療を敢行しろ!
と言うスローガンの下に間島協助会の結成を見、在間朝鮮人の思想的矯正と不逞分子の摘発誘致、帰順後の共産分子の職業指導と思想統制を行い飛躍的 発展を遂げている、同会は本部を延吉に置き明月溝、汪清に支部を置き八道溝、朝陽川、銅仏寺、老頭溝、二道溝、三道溝、大荒溝、大杜川、李樹溝、凉水泉千 の各地に区会を置き、更に其の下に総班、班を設け夫々責任者を置いて統制し、康徳二年十二月現在において七千百九十七名の会員を擁し殆ど間島一帯の都市部 落、奥地を問わず労働群衆の集合する鉱山、工事場、木材運搬場所、鉄道沿線には隈なく分布されている、間島協助会は組織完了と同時に次の如き宣言綱領を定 めてこれを発表した
宣言
現下東亜に於る諸外国の政策は極度に尖鋭化し直ちに亜細亜民族の一大脅威となるの感を強うするものあり東亜民族は克く一致協同して共同なる利益と幸福とを護らざるべからざる秋となれるを認識せざるべからず先駆日本を盟主に東亜諸民族の大同団結をなしその永遠なる繁栄の基礎を固め輝く東洋の建設に邁進せんとす、然れば吾等は諸族協和の下に偏狭なる民族関係を揚棄し外来的、非現実的なる共産主義を撃滅して東亜民族の堅実なる発展にその果すべき任務を果さんとす
綱領
一、偏狭なる民族観念を揚棄し亜細亜民族の大同団結を期す
一、鉄の如き堅き組織にて外来的共産主義の撲滅を期す
一、日満合作福利増進を期す
組織は前述の如く会員を単位とする中央集権的組織であって各単位はそれぞれ次の如き任務を持っている
一、会員は班内或いは村内において起りたる状況を班長に報告す
一、班長は一般会員及び付近民衆の思想的傾向並びに一般動向を監視し一週間一回宛総班長に報告す
一、総班長は一週間一回宛管内情況を所轄の区会長に報告す
一、区会長は区内異色細胞の再移植を監視し区内一般情況を所轄支部長に報告す
一、支部長は県内民衆の思想的動向並びに一般情況を本部会長に報告す
一、本部は月二回宛各支部区会を巡視し会員統制情況を指示し検閲す
連絡者を摘発し運搬隊を絶滅 共匪の糧道を絶つ
間島協助会は広い意味での民族覚醒運動であるが現下間島の情勢は先ず赤色勢力の駆逐が先 決問題とされているのでこの方面に最も意を注ぎ康徳二年七月末までに各都市、農村に於て共匪の支部、小組等の所謂ヤチエイカを摘発せるものは次の如く百九 十箇所、人員において一千八百九十八名に上っている摘発箇所
延吉県 一三八
延吉県 三九
和竜県 一三
誘致人員
誘致共匪 一、八九八
誘致匪賊 一二
帰順者 一、八九八、
以上は専ら平地における工作であるが奥地に於てはビラを散布し共匪の親族、親友を奥地に派遣して帰順を勧誘し或は工作員を直接奥地の武装共匪に密 派して共産党に加入せしめ、彼等の上下を離間し或は会の書信を共匪の首領分子に送って部下に疑いを持たしめ或は共匪帰順者首領株連名の帰順勧誘文を作成し て共匪に送る等、百方その壊滅に努め或は共匪の歩哨隊小流動隊を直接襲撃して人員を捕虜とし武器を奪取する等行っているが斯くて捕えられた者の中には県 委、区委、遊撃隊長、隊員等があり其の概数は康徳二年八月現在において次の如くである
誘致捕虜武装 六五人
押収奪取 小銃 一〇挺
同 拳銃 三挺
同 弾丸 一一一挺
同 手榴弾 七個
更に九月三十日には同会従軍工作員の手によって中国共産党東満特別委員会責任者陳洪章、同ソ聯通信員朱縉孔を誘致し功績を残した又協助会では奥地 共匪の死命に関する共匪食糧運搬隊を絶滅して糧道を絶つため食糧連絡者を摘発し或いは食糧運搬隊を襲撃する等を行ったが康徳二年八月現在において次の如き 数字を示している
食糧連絡者摘発人数 一五人
奪取馬匹 二二頭
同牛 五頭
一般鮮農に新生活運動 帰順者の指導も行う
帰順者は転向して真面目な生活に入ると誓ってはいるが殆ど一物もなき無産者で、この儘に放置 する時は再び邪道に足を踏み入れるは必然で、その後の指導当を得ざる時は虎を野に放つの危険がある、そこで協助会に於ては思想転換後の精神的及び職業的指 導を誤らざるため労働案内所、直営工場の経営、農場の経営、新生活運動等の諸事業を行っている、概況次の如し一、労働案内所
康徳二年一月十七日当局の認定を受けて設立、之を通じて職業の斡旋したるものは金鉱、炭坑、各土木工事場等に於て千五百名に上っている二、直営工場
帰順者中の婦女子は動もすれば失業堕落するの危険が尠くないので本部の一隅に靴下、染色、洗濯等の工場を設けて帰順後における失業を防止している三、農業経営
帰順者及び無産会員指導の為め康徳二年一月、間島省公署より曽て共産区たりし屯田営(延吉より十五里)を協助会農場に指定せられ康徳二年四月末頃百二十四戸を入村せしめ鋭意指導中である四、新生活運動
間島北鮮の鮮人が越江開拓して以来六、七年の歴史を有して局るのであるが農村新興に関する概念なく加うるに近来共匪の跋 族破壊工作によって農村は廃れ農民の健全なる思想と善良なる風俗は地を払い荒廃その極に達しているので会員を思想的に善導すると共に産業的に開発を計り健 全なる民風を作興し根本的に農村の振興を計り以て朝鮮人に物心両面に亘る基盤の鞏固を期しているデータ作成:2003.9 神戸大学附属図書館
0 件のコメント:
コメントを投稿