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2008年3月29日土曜日

タイタニック号の事件で一躍有名になったホワイト・スター社は、このJ.P.モルガン氏が所有する会社が吸収した子会社であり、社長・イズメイ氏は単なる雇われ社長にすぎなかった


タイタニック号の事件で一躍有名になったホワイト・スター社は、このJ.P.モルガン氏が所有する会社が吸収した子会社であり、社長・イズメイ氏は単なる雇われ社長にすぎなかった


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すいません。僕はタイタニックが沈んだことから否定します。
ヨーロッパでは結構有名な話ですが・・

1912年4月10日
当時「不沈船」とまで呼ばれ、世界一とまでいわれた豪華客船『タイタニック号』は、2220人以上の乗客を乗せて処女航海に出発した。
しかし、イギリス・サザンプトン~アメリカ・ニューヨークへの航路の途中、氷山に衝突

1912年4月15日未明 ― 沈没
世界一の豪華客船・タイタニック号の処女航海は、1517人もの命を飲みこむ世紀の大惨事となって幕を閉じた

しかし、この悲劇的な事故については、当初から様々な謎があったといわれる
事故当時から記録として残っているものの中から 疑わしいものを挙げていくとあるひとつの推測にいきつくというのだ。
事故から100年余り経つ現在、公然と囁かれる”黒い噂”とは・・・

● アメリカ屈指の金融財閥/J.P.モルガン社の創設者 ●


タイタニック号の実質のオーナーは、このJ.P.モルガン氏である

タイタニック号の事件で一躍有名になったホワイト・スター社は、このJ.P.モルガン氏が所有する会社が吸収した子会社であり、社長・イズメイ氏は単なる雇われ社長にすぎなかった
ホワイト・スター社の経営方針そのものは、すべてこのモルガン氏が掌握していたのだ

そのような関係上、当初はモルガン氏もタイタニック号の処女航海には乗船する予定だったのだが、なぜか急遽キャンセルし、事故当時、船には乗っていなかった
さらに、「モルガン氏の知人・友人たち55名も同様に直前になってキャンセルしている」
世紀の豪華客船の記念すべきイベントを揃ってキャンセルしたのはなぜだろうか?


● スミス船長 ●

彼には、ホワイト・スター社の船を何度も事故に導いた過去があったのだ
となると、やはり疑問が生じないだろうか?
タイタニック号は、ホワイト・スター社が社運を賭けて建造した超豪華客船である
その船を預ける船長に、よりにもよって、なぜそんな男を選んだのだろう?


● 再三の氷山警告を無視 ●


タイタニック号は、その航海途中に何度も他の船から発信された氷山警告を受信していた。しかし、ホワイト・スター社の社長・J.ブルース・イズメイ氏は、それを開示しようともせず、隠していた

おかげで合計6~7回受信した警告の内、まともにブリッジに届けられたのは、信号灯で返礼したのが確認された1回だけだったという



● タイタニック号は計画的に、故意に沈められた?! ●

タイタニック号に瓜二つの姉妹船であるオリンピック号は何度も事故を起こし、使い物にならないほどの損傷を受けていたため、完成からほんの数ヶ月で、すでに保険も受けられない無保険状態になっていた。
ホワイト・スター社は、オリンピック号の事故の賠償責任も問われる一方、船の建造費用の回収さえメドがつかず、経営不振に陥っていた。

そこで、〔窮地に立たされたホワイト・スター社が、外観がそっくり同じタイタニック号とオリンピック号をすり替え、タイタニック号(実はオリンピック号)を氷山に正面衝突させ、タイタニック号にかけられた多額の保険金を受け取るために、計画的に沈めた〕という説が囁かれている。

まったく大胆な陰謀説で、にわかには信じがたいが、当時の写真が残っており比べると只の陰謀説には思えない。

完成当時お披露目された時のタイタニックの写真と、処女航海に出発した時の写真を見比べると、窓の数が違っているのが確認されており、その他にも「タイタニック号は出港直後から傾いていた」との証言もある。
さらに事故後の調査では、衝突後に船を救う為の処置がほとんど行われた形跡が無かったことが分かっており、はじめから処置を放棄していたようにも見えるのだ。

そして、不可解なことにタイタニック号の資料は設計図も含め、そのほとんどが残っていない。図版として現存するのは、すべてオリンピック号のものである。

実際、あの沈没事件後、ホワイト・スター社は多額の保険金を手にしている。

また、見張り役の内の一人であったフレデリック・フルートは、事故から生還し証言台に立ったが、彼の態度は固く、「衝突直前まで氷山には気がつかなかった」の一点張りだったという。
しかし、のちの調査結果では、フレデリック・フルートは、実際には衝突の30分前から氷山を確認しており、そのことをブリッジに報告したにもかかわらず、重要視してもらえず、報告はなぜか無視されていたのだ。

そして、その事実について黙秘する見返りとして、彼は、ホワイト・スター社から多額の金を受け取っていたため、証言台では黙っていたのだという。

このフレデリック・フルートは、1965年に自殺している。

私の意見としては、実際に沈んだ船はタイタニック号ではなくオリンピック号だったと思います。
つまりタイタニック号は沈没すらしていない。

しかし映画タイタニック同様、死んでいった人達・家族・友人・恋人にとって悲しい出来事であることは
間違いないでしょう。

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